創業文政三年の歴史ある甲州屋庖清会
甲州屋庖清会の前身、甲州屋は、文化の初期辻栄太郎氏が、志を抱き甲州の片田舎から江戸日本橋の魚河岸、亀新魚問屋に「わらじ」を脱ぎ営々として庖丁の道に励み文政三年(1821年)に大名旗本屋敷の板前衆の人入れ家業甲州屋を起こしたのが起源となります。栄太郎氏が二十二年間営業し、天保十三年(1843年)に二代目善吉氏が継承し、安政五年(1859年)に三代目栄吉氏が継承し、明治二十年に四代目慶之助氏が継承し、宮内省より大膳職を拝命しました。大正六年に五代目善吉氏が継承後、大正十三年に社会情勢の変化に対応すべく会則を制定し、甲州屋庖清会と改称し、昭和十五年に辻善吉氏の死去に伴い妻の房子刀自が、会の維持に努力され、長男辻一郎氏が六代目となりましたが、太平洋戦争に従軍、南方で戦死し辻家の世襲による会長が、百二十四年で終わりを告げます。昭和二十一年の役員会の席上、刀自より辞意が表明され、昭和二十三年に、GHQの指導の下労働省の許可を得た甲州屋調理師紹介所を設立するにいたりましたが、甲州屋庖清会と両立する形式になりました。初代会長には滝上金太郎氏、初代所長には柴崎辰五郎氏が就任、以降二代目会長には多田幸造氏、二代目所長には竹輪二平氏、三代目会長には田代台蔵氏、三代目所長には森田源太郎氏、四代目会長には竹村竹次郎氏、五代目会長には久米原桂蔵氏、五代目所長には小畠弘太郎氏、六代目会長には小松崎剛氏、七代目会長には中山達也氏が就任されています。現在は、400名以上の会員調理師が、ホテルニューオオタニ、東京會舘をはじめとするホテル、料亭、会館、旅館、結婚式場等で日本料理を提供しつつ調理技術の研鑽、伝承を行っております。
